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父のなきがらと対面した母はその瞬間、大きな声をあげた

【隔週木曜日更新】連載「母への詫び状」第四十一回

■母の退院と父の死が重なり…

 入院当初は、もう二度と自宅に帰れないのではないかと絶望しかけた時期もあったが、やがて治療が効き始め、途中から体調が良くなった。QOL(クオリティ・オブ・ライフ)が向上したという言い方をすればいいのだろうか、背中の痛みを訴えなくなった。抗がん剤の副作用も、薬を変えたらほとんど出なくなった。

 ただし、医師から退院を告げられたときは、えっ、と驚いた。いくら具合が良くなったとはいえ、まだやっと上半身を起こせるようになった段階。ひとりでトイレもできない。

 高齢者が半年間、寝たきりで生活すると、どうなるか。まず自分の足で立てなくなる。当然、歩けない。それから入院中、尿は管を通して排出していたから、膀胱の機能が弱まり、自力で尿をためることができなくなる。こういう話は、母の名誉のためにあまり書かないほうがいいのか。

「君がいれば、大丈夫ですよ」

 母が自宅で生活できるのかを不安がる息子に、担当医はそう言って笑ったが、こちらはまったく自信がなかった。

 父が亡くなったのは、母が退院して2週間後のことだった。ぼくが付きっきりの生活を始めてまもない時期、まだあわただしさの抜けなかった頃だ。母の退院を待つように、父は旅立った。

  そのせいもあって、父の死がすごく悲しいという感情はなかった。悲しむほどの余裕がなかったのか、それとも準備期間がありすぎたからなのか。「ご苦労さま」という気持ちが強かった。

 病院で臨終に立ち会い、身内の連絡だけ済ませてから、父を霊柩車に乗せて自宅へ連れて帰った。真夜中だったが、父のなきがらと対面した母は、大きな声をあげて悲しんだ。

 その瞬間の母の姿が、ぼくのなかでは父の死にまつわる一番の記憶だ。

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夕暮 二郎

ゆうぐれ じろう

昭和37年生まれ。花火で有名な新潟県長岡市に育つ。フリーの編集者兼ライターとして活動し、両親の病気を受けて帰郷。6年間の介護生活を経験する。



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